北条氏康が上杉謙信と同世代でもうちょっと長く生きていたら…

戦国時代があって今の世の中があると日本では言われています。

そんな戦国の世で有力な大名が生まれました。

その中で紹介するのが北条氏康と上杉謙信です。

今回は彼らにスポットをあててみたいと思います。

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北条氏康と上杉謙信について

北条氏康と上杉謙信は15歳年が離れています。

二人の絡みと言えば、やはり関東攻めに関することでしょう。

特に小田原城の戦いが有名です。

でもあまりにも堅牢な城と武田信玄の北信濃への侵攻が絡んで上杉謙信は撤退を余儀なくされました。

北条家ゆかりの小田原城は…

織田信長が建築した安土城や豊臣秀吉が建築した大阪城ができる前は関東にある小田原城が天下の名城でした。

先ほども少し触れましたが、あの上杉謙信でも落とせなかった名城なのです。

当時の文献と復元した見取り図から小田原城は幾重にも門があり、それを壊して進み本丸まで辿り着く前に兵が疲弊してしまうほど広い城でありました。

北条氏政の代で防御力が高い小田原城に頼りすぎたため、資金力が豊富で多彩な戦略をもつ秀吉に敗れ、北条は滅びてしまいました。

北条氏康と上杉謙信がもう少し長生きしていたら…

しかし北条氏康が氏政の代に変わる前にもう少し長生きできていればどうなっていたのか独自の視点で検証します。

今回は今川・武田・北条が3国同盟を結んでいた時から遡ります。

史実では氏康は信玄より一回り年上でした。

しかし、謙信と同じ年代であればその時はまだ信玄より若いということになります。

3国同盟を結んだ氏康の目的は当初の予定では史実どおり関東の経営でした。

関東の広大な土地をいかに手に入れるかを考えていました。

だが、桶狭間で今川義元は討死、家康は独立し今川家の弱体が露見してしまいました。

事実上のこの出来事で3国同盟は破たんしてしまいます。

今川義元の息子、氏真は家康に半分以上領土を奪われてしまいました。

それをみた武田信玄は最初にこの3国同盟に見切りをつけたのです。

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このころの氏康は南関東を制圧していました。

ただ北関東まで勢力を広めれば、上杉謙信がだまってはいません。

北条家の忍びである風魔小太郎は武田が今川の駿河に攻めようとしていることを掴みます。

史実なら北関東まで勢力を広め、駿河は武田に譲った感じです。

しかし氏康がふとしたきっかけで京に興味が湧き、東海道から京を目指したいと思ったら氏康が武田と交渉するでしょう。

上野を含んだ北関東を武田にやる引き換えに駿河を取ることになったとすれば、また展開が違ってきます。

今川から姫をもらっていたら後で離縁し、今川に人質として子どもがいれば忍者に助け出させることをするでしょう。

武田が塩を欲しているのなら塩の貿易だけを同等の権利として認めることは氏康ならするでしょう。

ただ武田と違って氏康なら禍根を残さないために武田の援軍と共に家康を滅ぼすでしょう。

同時に上野にて武田・北条連合軍が上杉軍を駆逐して北関東は武田が頂くことになるでしょう。

そして信長を相手にするわけですが、北条家は武田のような騎馬軍団がないので織田の鉄砲部隊に圧倒され返り討ちに遭う可能性があります。

ただ雨を狙って城攻めを行う可能性があります。

氏康と信長の直接対決は史実では一度もなく、予想がつかないので仮に氏康が勝ったとして狙いは京への上洛なので、信長を滅ぼす兵力までは持ち合わせていないでしょう。

氏康であれば京に上洛して関東の安寧を求めるでしょう。

武田も今は同盟関係にありますが、天下を巡って争うことになってしまうかもしれないので、北条家が天下を取れる保証はありません。

ただ北条家は有力な大名になっている可能性が高いことでしょう。

上杉謙信はというと、武田北条連合軍に苦戦し越後を維持するのがやっとでしょう。

もしそうなれば越中侵攻どころではないはずです。

ただ、謙信が氏康と同世代なら戦上手の謙信はだまってはいないでしょう。

でも性格上、無益な殺生をしないタイプなので天下取りはないと考えるのが自然です。

つまり、向かってくる敵は倒せても自分から領土を欲しがらないというわけです。

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