もし関ヶ原の合戦で西軍が勝っていたら…

近代の日本を形作ると境目の戦いがありました。

それがこの関ヶ原合戦なのです。

結果的には東軍が勝ちましたが、もし西軍が勝っていたらどのような展開になっていたのか、あるいは今の世の中がどう変わっていたのかを独自に仮定した上でここに記します。

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関ヶ原の戦いとは…

西暦1600年、日本では世紀の大合戦が行われようとしていました。

それがこの戦いです。

西軍は石田光成、東軍は徳川家康が大将となって陣を構えていました。

軍の規模としては、お互いに10万ぐらい、あるいはそれ以上の軍勢を率いていました。

しかし、歴史上では長丁場にならずに決着がついてしまいました。

なんと西軍が小早川秀秋という武将が裏切ったせいで敗走したのです。

それがなければ西軍が有利のまま、東軍を撃退可能でした。

東軍が勝利したことで、歴史ではその3年後家康は江戸の幕府を立ち上げることになるのです。

西軍が勝つ為に必要なことは…

もしあの時西軍が勝っていたら歴史はどうなっていたのか、ここからは私なりの視点で検証してみたいと思います。

まず西軍が勝つにあたって、不安要素を取り除かなくてはなりません。

それは上記で少し紹介した小早川秀秋です。

もとは豊臣の血を引いているのですが、家康に調略されていてどちらにつくか迷っていました。

最終的に小早川が裏切ったことで西軍が壊滅することになるのですが、それを防ぐには戦況を有利に持っていかなくてはなりません。

それに誰一人小早川の裏切りを予想していませんでした。

だからそれを防ぐ手立てはありません。

しかし、誰しも戦況が有利な方につくのが戦国の常識です。

つまりきっこうした状況で戦うのではなく、戦況を有利にしてから攻めるのです。

例えば、天候が雨の内に敵方の退路を断つ形で敵が撤退できないように退路を断つか、夜の闇にまぎれて奇襲攻撃を仕掛けて、敵の動揺を誘い、敵の陣を分散させます。

その間に総攻撃を仕掛ければ問題ないのです。

そうすれば小早川も裏切れずに終わり、家康の策は失敗します。

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また西軍の視点から考え、家康が不信感を抱いていると敵方の仕官年数の低い諸将に流言を振りまき、いざとなったら裏切るように仕向ければ、敵方の陣は崩壊し家康を敗走させることが可能です。

西軍が勝ったことで今後の展開が変わる?

家康を敗走させることができた今後の展開として、考えられることがいくつかあります。

家康が敗走すれば、真田はその隙に石田方との密約により甲斐・信濃を手中に収め、上杉は越後を取り返します。

豊臣政権は石田光成を中心に安定的なものとなるでしょう。

無論家康は五大老筆頭の地位を失い、豊臣に謀反を起こした大名として扱われることになります。

家康の求心力は失い、江戸周辺の領土を保つことで精一杯になるでしょう。

さらに事が大きくなれば江戸城決戦もあり得ます。

石田光成率いる豊臣軍と真田・上杉連合軍で関東に攻め入って家康を倒すことになるでしょう。

奥州の伊達は動くにも動けない状況になるでしょう。

もし徳川に味方すれば、豊臣に逆らった大名として誅殺されるからです。

だから動けないのです。

そして戦いの末に家康は自害、秀忠はとらえられ幽閉されることでしょう。

つまり徳川家の滅亡を意味します。

それが一つの結末です。

もう一つは南北朝時代のように日本が二つに分かれていわゆる『東西朝時代』に突入することです。

いくら関ヶ原で敗れたとはいえ、家康に従う大名が大幅に減るわけではありません。

家康が強引に幕府を立ち上げ、老い先長くはないので無理やり天下を取るための行動を起こすことが考えられます。

豊臣と徳川に分かれ各地で小競り合いが発生することが予想されます。

どちらがどのように勢力を固めるか予想は困難ですが、日本は第二次戦国時代に突入する可能性があります。

戦国時代が応仁の乱から始まって100年以上経っても続いているように、関ヶ原の戦いからまた100年以上経過しても統一した日本という国にすらなっていないかもしれません。

そうなれば日本の首都も変わっていたことでしょう。

これがもう一つの結末です。

このように西軍が勝ったらいろんな意味で歴史が変わるのです。

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